明治維新的改革を of 医薬品通販禁止令と対応

今こそ「明治維新」的改革を

公務員を「身分」から「職業」へ

入省試験で「身分」が決まる

著者:堺屋太一著者:堺屋太一明治維新はなぜ成功したか。それは時機と手順がよかったからだ。その第一は、絶好の時機に武士の身分を廃したことである。今もまず急ぐべきは公務員制度の改革である。

江戸時代の260年間、武士の家系に生まれ育った者は世襲によって禄を与えられ、政治・行政職を独占していた。江戸時代の行政官(官僚)は、能力意欲による適任者ではなく、武士身分という資格を持つ適格者だった。そしてそれが政治決定をも行う官僚政治でもあった。

そんな制度が長く続いたのは、世間(一般国民)が武士は知識と克己心に優れている、と見ていたからだ。武士の方も、そう見られるように様式美を備えた。月代(さかやき)を剃り服装を整え、折り目正しく立ち居振る舞った。

江戸時代の武士江戸時代の武士司馬遼太郎氏が「武士の武士たる所以は、勇気でも忠義でもなく様式美だ」と指摘したのは正鵠を射ている。

1853年、アメリカの黒船艦隊が出現した時、将軍家慶(いえよし)は死の床にあり、後継者の家定(いえさだ)は心身病弱だった。意志決定機能を欠いた幕府中枢は慌てふためき、諸藩に対策意見を求めるなどしたため、大いに権威を失墜した。

しかし、武士全体が尊敬されなくなったわけではない。それから10年、様々な騒動(政争)が起こるが、みな武士同士の争いである。まだ武士は強くて賢いと信じられていたのだ。

本当の維新がはじまるのは10年後。1863年に馬関戦争で僅か1,000人ほどの欧米連合艦隊に長州藩が惨敗、外国人に対する武士の弱さが際立ってからだ。さらに翌1864年から1865年にかけての長州戦争では、弱いはずの長州に幕府の大軍が敗北した。戦国時代から「強い」と思われてきた武士が、実はまったく強くも賢くもないことが分かった。

このため、武士は尊敬されなくなり、武士の守る様式美も価値を失ってしまった。幕末維新の頃には、自らの髭を切り、ズボンと靴を着用する者が増えた。要するに「武士の文化」が信頼されなくなったのである。

それは、1980年代後半に、ソ連の共産党官僚が尊敬を失い、社会主義体勢が崩壊したのと似ている。

今日の日本の官僚、つまり霞が関の幹部公務員も同じだ。幹部公務員は大学卒業時点で国家公務員試験に合格、中央官庁に「キャリア」として採用されたという資格によって、年功で出世し、主要役職を独占している。入省後20年弱で本省課長になり、数年後には局次長級になる。

ここから先はポストの先細りで早期退職者も出れば、局長・次官に至る者もいるが、いずれにしても、60代後半までは天下り先は保証されている。すべては採用時に得たキヤリ官僚という資格つまり身分である。たとえ能力と意欲を欠く者でも、このコースを進む。

逆に能力と意欲のある適任者でも、キャリア官僚として採用された資格がなければ、高いポストに就くことは滅多にない。中途採用者は大抵二、三年の「手伝い」で追いだされる。

しかもこの身分、各府省別の縦割りで、省を跨(また)いで適任者を求めることさえできない。まさに適任者よりも適格者、完全な身分制度である。

官僚共同体化こそ「死に至る病」

厚生労働省厚生労働省変化の大きな今の世で30年は長い。当然、各官庁の所掌分野の重要性も変わる。例えば、30年前は厚生労働行政は小さな分野で、厚生省や労働省のキャリアの採用数も少なかった。

ところが今では超巨大官庁、特別会計を含む予算額は国民所得の20%にも達する。それだけに厚生労働分野の人材不足は著しく、このところあらゆる業務で失策続きだ。

これに対して、農林水産業や経済産業省の重要性は縮小、有能な人材が溢れている。

それでも農水や経産から厚労省に転出することはまったくない。官僚たちの頭と背中には府省別の刻印が入省時点で押されているのである。

このことの害悪は実に大きい。不適任者が重要ポストを占めるとか、何千人かの天下りOBが徒食するだけなら罪は軽い。最大の問題は、各府省が官僚共同体と化し、自分たちの利益だけを図る機関になってしまったことだ。

官僚の人事には、国民も政治家も介入できない。それを決めるのは、各府省の官僚仲間の評判だ。そうであれば、官僚たる者、仲間の評判がよくなる権限拡大と予算の増加のみに努めるのは当然である。

この結果、日本には、国家国民全体を思う「日の丸官僚」はいなくなり、府省ごとの利益を追求する仲間利益追求者ばかりとなった。この10年の改革が、政治家の意欲にも拘わらず、「偽りの改革」に終わったのも、最大の原因は官僚の組織利益追求に由来している。

20世紀のうちは、日本の幹部公務員(官僚)は、国民の信頼を得てきた。その理由は三つ。第一は難しい試験に合格した人々であること、第二はかつて高度成長を演出した「偉い官僚」の後継者であること、そして第三は一般で用いない難解な言葉と制度を記憶する様式を保持していることだ。この三つは、幕末の武士にも、太平洋戦争時代の軍務官僚(軍部)にも共通している。

しかし、今や官僚への国民の信頼は大いに揺らいでいる。平成に入ってから日本の困難の多くが、官僚たちの無能不適任と仲間優先の倫理的頽廃であることが、ようやく知れわたるようになったからだ。

明治維新は、身分によって役職を占める武士の身分を廃止することからはじまった。21世紀の改革も、身分(資格)によって国家要職を占める官僚(幹部公務員)制度の廃止からはじめねばならない。

公務員改革の機は熟した

私は過去20年間、公務員制度の欠陥を指摘し、その改革を唱えてきた。だが、反応は捗々(はかばか)しくなかった。

「そうはいっても日本の官僚は優秀だ。政治が混乱しても日本がきちんとしているのは官僚のお蔭だ。霞が関の官庁街には深夜まで照明がつき、みな熱心に働いている」といった評価が強かった。私が幼少の頃に聞いた軍人礼賛と同じである。マスコミも政治家は批判しやすいが、官僚は批判しにくい。記者クラブという「情報出島」を抑えているからである。

ところが、21世紀に入る頃から変わりだした。相次ぐ不祥事で官僚の無駄と無能が露見した。官僚主導の分野がすべて行き詰まっていることも怒りを呼んだ。小泉改革の中で中央官僚こそが抵抗勢力であることが分かったのも大きい。

この結果、官僚(幹部公務員)は、国民に最も信頼されない職業集団になり下がった。2008年5月の朝日新聞の世論調査では、官僚は「信用していない」が35%、「あまり信用していない」が45%、12項目の中で「信用度」最下位だった。幕末の武士、太平洋戦争末期の軍部に似ている。

その機会を捉えて、2007年、安倍晋三内閣は渡辺喜美氏を行革担当大臣に起用、公務員改革に乗りだした。そこで私は「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(座長/岡村正日本商工会議所会頭)の座長代理となり、「国家公務員制度改革基本法」の原案を自ら書いた。担当の事務局(官僚)に書かせると、必ず議論が歪曲され、逆効果的なものになる。審議会や懇談会の答申は本来委員が執筆すべきものだ。

この原案は懇談会の審議を経て答申となり、法案化された。そして2008年6月、与野党協議の修正を経て、国会を通した。前評判では「絶望的」とされた法案が成立したのには、国民の強い支持があったからである。

しかし、これは「かすかな一歩」に過ぎない。「改革基本法」は改革の理念とスケジュールを定めたもので、具体的な内容はこのスケジュールに沿って提出される個別法に委ねられている。

まず、2008年7月からはじまったのは、公務員の人事を所掌する「内閣人事庁」の設置法案である。

たちまち官僚集団の猛烈な反撃がはじまった。「人事庁」は「人事局」に格下げされ、多くの機能が既存組織に残された。官民人事の交流を妨げ、幹部公務員の降格を事実上不可能にする条件も付けられた。その上、人事局長を官房副長官が兼務するという凄(すご)い条文も加わった。

極めつけは「公務員が定年まで勤められる環境を創る」スタッフ職の拡張である。これでは不適任官僚も六五歳までは安泰となり、ますます硬直した非効率組織になるだろう。

さすがにこれには自由民主党の一部から反対が出た。有志議員の出した修正案は、公務員を幹部公務員(官僚)と一般職員に分け、幹部については交流と降格をしやすくする、というものだ。だがこれも、衆議院の解散で廃案になってしまった。

公務員制度の改革の要点は何か。その第一は、公務員を「身分」から「職業」にすることである。

入省の時の試験合格で得た資格(身分)を得た者は能力意欲に関係なく出世する一方、新しい技術や情況に応じて必要な適任者でも幹部になれない現行制度を打破する。不適任な者は転職させ、適任者は外部からも入れる。

中途採用者でもノンキャリアでも、有能有志の者は高位に就ける。民間企業ならどこでもやっていることを公務員でもやろう、というだけである。

これができれば、官僚共同体と化した各府省も改革され、国民全体のためになる機能集団に変身させることができる。

公務にも民間の効率を経験した人材が入る一方、民間にも公務員としての知識と経験を持つ者が加わる。日本社会全体を適材適所の効率社会に変えることができる。

そのためには、専門の人事管理知識を持った人事当局(内閣人事庁)が、幹部公務員を評価し、総理大臣や各省大臣が官僚共同体を離れた目で適任者を選ぶ。もし、大臣に誤りがあれば、国民は次の選挙で落とすことができる。

政治家にも眼力のない者もいれば、私利私欲で動く者もいる。しかし、そんな者は国民が選挙で落選させ政権から追い払うことができる。官僚仲間の評判以外まったく気にしない官僚共同体の人事よりは、はるかにましである。

官僚主導から国民主導に

公務員改革の第二の要点は、政治体制を官僚内閣制から議院内閣制に戻すことである。

霞が関から見た国会議事堂霞が関から見た国会議事堂日本国憲法では、国権の最高機関は国会であり、内閣は議院内閣制だとされている。だが実際は、官僚が主導する官僚内閣制といってよい。

そのことは、同じ議院内閣制を採るイギリスと比べれば実に明らかである。

イギリスの場合は、政権党は首相や各省大臣のほか、閣外相や政務官など約60人の議員を政府機関に送り込み、議会との接触も官庁との接触も、内閣に限られる。国会議員は何事も内閣に注文し質問する。国会議員が各府省の官僚と直接接触するのは原則禁止されている。

従って官僚は、内閣の命令や要請によって働く。すべての政策についていくつもの選択肢を示して内閣(首相や大臣)の判断を仰ぐ。どんな政策を採り、どんな予算を組むかは、すべて内閣の権限と責任である。

もちろん幹部官僚の人事も内閣次第、気に入った選択肢を出せない官僚は左遷されるし、上手な選択肢の出せる者は5、6年も一つの職に留まる。

小池百合子防衛相小池百合子防衛相これに対して日本は、大臣の官僚掌握力はほとんどゼロ。人事は官僚仲間で定めたものを押しつけてくる。大臣がそれを拒むと、田中眞紀子外相や小池百合子防衛相のように、大臣の方が首になる。

日本でも副大臣や政務官制度を入れ、各府省にかなりの国会議員が入ったが、セレモニー以外では機能していない。

イギリスとの最大の違いは、国会議員と官僚が濃密に接触し、内閣(大臣)の知らぬところで「取引」が行われてしまうことだ。そのため、官僚は大臣の命令など聞く耳を持たず、官僚の利益になる政策の実現の根回しに走り回る。

官僚仲間の評判は、国会議員によく根回しをして、公務員共同体の意向を通せるかどうかで決まる。これが上手なら汚職の噂がある無能者でも事務次官に昇る例が珍しくない。

この国を官僚内閣制から憲法の定め通りの議院内閣制にするためには、官僚が、自らの意向を通すために国会議員を操る現行制度を改め、各府省に政務専門官を設け、それ以外の官僚の国会議員との接触を制限すべきだろう。

これは、大袈裟(おおげさ)にいえば、徳川幕府の崩壊、主権在民への大政奉還である。

堺屋太一「凄い時代」より

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